フィルムセンターでの「没後50年溝口健二再発見」、
本日の上映は『雨月物語』『祇園囃子』『山椒大夫』。
日本映画史に輝く3作品。
『雨月物語』。
祝言の後、森雅之に見せる京マチ子の流し目、
逃げようとする森雅之にすがる京マチ子の鬼気迫る表情、
どちらも忘れられない。
『祇園囃子』。
若尾文子のかわいらしさ、木暮実千代の成熟した色気、浪花千栄子の老獪さと、
3人の大女優の競演が見事。
おぼこい若尾文子が愛らしくて魅力的なのは当然だが、
木暮実千代の女の色香にすっかり参ってしまった。
ワタシがこれまで観た木暮実千代の出演作品の中で、
『祇園囃子』の美代春姉さんが、一番魅力的だと思った。
そして浪花千栄子。
いつ見ても、この女優は本当に凄い。
お金の無心をする木暮実千代に対し一言、「あほくさ」。
その言い方、間の取り方が見事。
参りました。

『山椒大夫』。
ラスト、田中絹代と花柳喜章が再会するシーンでのカメラの長回しに、
またまた唸らされる。
今読んでいる
金子光晴の
『ねむれ巴里』がますます面白い。
冷徹な観察眼と、毒吐きまくりの表現。
例えば、30歳過ぎの金子光晴がフォンテンブローの森のベンチに座る80歳過ぎの老夫婦を見て、
「あの色情狂のようなフランス人のさいはての姿がこれであることが僕らには、驚異であった。(略)
これは、仏舎利であり、ぼろぼろになって猶、のこっている人間最後の文化の追跡をみているようでもあった。(略)
男と女は、どちらがわるいのでもなくて、やはり、抱いたり、しゃぶったりするよりしかたないもので、僕らが抱きあっているのとおなじように、もうとっくに卒えているあの八十歳の夫婦も、ことによると、いま頃、裸で抱きあっているかもしれないとおもうと、それはもう、人間の宿業というよりほかことばがない。」
またパリについて、
「パリの人たちは、いつになっても、コーヒーで黒いうんこをしながら、すこし汚れのういた大きな鉢のなかの金魚のようにひらひら生きているふしぎな生き物である」
「それは、ゆきずりの観光客にはわからないことではあるが、花のパリは、腐臭芬々とした性器の累積を肥料として咲いている、紅霞のなかの徒花にすぎない。」
こういった文章が続く。
腹を抱えて笑いそうになるが、笑ってばかりいられない文章。