クリスマスが近いので最近ソニープラザで買った小さなガラス製のツリーを飾ってみる。

どうしてもイチゴの「あまおう」が食べたくなり、
近所の高級スーパーに行き、「あまおう」を買って食べる。

新宿三越のLOFT(何と近々閉店してしまう)に行き、
ほぼ日手帳のメモ帳を2セット買う。
伊勢丹に移動。ボーナスが出た直後の週末なので、いつにもまして無茶苦茶混雑している。
普段使いのバッグとお気に入りのオリーブオイル「ラウデミオ」を大急ぎで買う。
丸の内線に乗り銀座へ。
ピエール・マルコリーニに行き、チョコレートが6個入った箱を一つ買う。
銀座通りの歩行者天国も物凄い人の数。
フィルムセンターで溝口健二監督の『残菊物語』を観る。
この世にこんな素晴らしい作品があったとは。
後半名古屋での成駒屋の公演のシーンあたりから、ワタシの涙腺はブルブル震えっぱなし。
菊之助の成功を祈りながら、成功により別れが近づいていること悲しむお徳。
大阪の公演の後、父・菊五郎が菊之助へ言う台詞。そして最後。
ブヮー…。
成瀬巳喜男の芸道物『歌行燈』(同じく花柳章太郎主演)、『鶴八鶴次郎 』『芝居道』に並ぶ傑作(いや、それ以上かも)。
これは花柳章太郎主演の『名刀美女丸』も観に行かないといけないなぁ。
主演の花柳章太郎と山田五十鈴は不倫の恋をしていた、という興味もあるし。
そうそう。女相撲のシーンが出てくるシーンには笑ってしまった。
『残菊物語』の余韻に目をうるうるさせながら銀座線に乗り、渋谷へ。
シネマヴェーラでエリック・ロメール監督の『獅子座』を観る。
かなり面白かった。
巨体の中年男がパリを歩き続ける姿は滑稽でもあり、残酷でもある。
それに、わずかな金を求めてパリ中歩きさまよう姿は
『ねむれ巴里』での金子光晴とまったく同じなのだ!
ちょうど映画を始まる前に『ねむれ巴里』を読み終えたワタシは
その一致に多さに驚いてしまった。
30年の時代の違いはあれ、中年男も金子光晴も破れた靴を何とか細工し、
それを履きパリ中を歩き回り、
貧しさの中、パリを「汚い」とか「猥雑な街だ」とののしる。
ホテルに泊まる金もなく、屋外に積んである椅子で一晩野宿する、等々。
『獅子座』の中年男を観て、パリ中を歩き続ける金子光晴の姿とその背景の街の模様を自分の目で見たような感じがした。
『ねむれ巴里』を読み終えるのに随分かかってしまった。
映画の待ち時間にしか読まなかったということもあるのだが、
それよりも、あまりにも金子光晴の表現が素晴らしいので、
少し読んでは、また元に戻ってその文章を読み直して感心するの連続で、
中々先に進めなかったからだ。
本の最後、日本に帰ったことについて、
「おちつきのわるいゆらゆらとしたたたみの踏心地になつかしさをおぼえながら、どん詰まりの日本のヨーロッパとはまた一風変った、せせこましい小路の溝板をふんで、じぶんの腰掛ける縁台をさがし直さなければならなかった。」
と書いている。
金子光晴は天才だ。