前回からだいぶん間が開いてしまいましたが、ユリイカ臨時増刊「総特集 監督川島雄三」の紹介その2です。
(その1はこちら
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今回取り上げるのは、「中央公論」昭和38年7月号から掲載された
「川島雄三と喜劇」という鼎談。出席者は川島雄三、岩崎昶、草壁久四郎。
川島は昭和38年6月11日に急逝しているので、この鼎談は死の直前に行われたようで、話は遺作の『イチかバチか』について始まり(川島は『イチかバチか』公開の5日前に亡くなった)、次回作のはずであった『江分利満氏の優雅な生活』について熱く展望を語っているのが印象的です。
また多くの観客が感じている作品によって出来に大きくムラがあるという指摘を草壁久四郎が川島に臆することなく何度も尋ねているのに驚かされます(しかも草壁は川島より2歳年下)。
草壁:こんどの「イチかバチか」で、川島作品はちょうど五十本目ですね。映画界に入ったのは昭和十九年で、途中-兵隊は即帰郷でしたが、二十年の敗戦のどさくさ、それと二十一、二年がブランクで、十六年間に五十本というわけですね。
岩崎:あなたと同期くらいの人は、出ていないですね。
川島:助監督なんかずいぶん優秀な人がいたけれども、戦争でやめちゃったり、戦争が終ると巨匠連中が帰ってきたでしょう、新人がなかなかでられなかったんです。
(略)
岩崎:松竹という、ああいう伝統的というか古い封建的な社風の中で、監督としての形成をはじめたということも、関係があるんじゃありませんか。
草壁:松竹ではずいぶん抵抗していたような感じがありましたね。干された時代もふくめて。そういうことがけっきょく松竹を出るという結果になったんでしょうけれども。
川島:松竹をやめたいと言ったとき、残れと言われたんです。しかしこのままやっていくと、僕はだいたいが依存心が強いほうでもあるし、松竹調の殻も破れない。将来望ましい監督になるかもしれないが、自分自身としてはあきたらないということから出たわけです。出てみると、なかなかそうもいかないということがわかったんですけど。
草壁:日活の第一作が「愛のお荷物」。いきなりあれを作れたということは、日活に入った甲斐があった。監督になって十二年目にはじめて、作りたいものを作ったのじゃありませんか。川島雄三監督を見直しましたよ。
川島:しかしあとで考えると、やっぱり松竹カラーの悪い面が出てますね。払拭しきれなかった。
(略)
川島:(略)一年に一本くらいは、自分の線にあったものをやりたいと思っています。
草壁:あなたの線そのものがずばり出た写真とそうでないものとの落差が、非常に激しいわけですよ。
川島:作っているときは、そう落して撮っているつもりはないんですが、最初の心構えというか、そういったものが影響するようです。
(略)
川島:会社から与えられた場合、こういうものでもやってやれないことはない、なんとかこなせるというような、どうもいけないところがあるんですよ。
(略)
草壁:川島さんは喜劇をたくさん撮っていますね。出だしの頃からそういうものを狙っていられたのですか。
川島:不思議なことに、そういうものを最初にやっちゃうと、それがつきまとうんですね。僕は活劇時代にそんなに喜劇を見ていないんです。だからそういう脚本がまわってきたときにたいへん弱りました。前に見ていれば、少しは真似してやれたのにと思ってね…。(笑)自分でなにもかも、考えなければならないでしょう。そういう苦しかった記憶がありますけども。
(略)
川島:チャップリン映画なんか見ておけばよかったと思います。
岩崎:「愛のお荷物」にしろ、「幕末太陽伝」にしろ、ドタバタじゃなく、かなり観念的な喜劇ですね。日本でそういう映画を作るのは珍しいですよ。フランスのルネ・クレールとかキャプラの喜劇に通じるものですね。
川島:ルネ・クレールの「巴里祭」は、コンテで見たんです。
岩崎:(略)「幕末太陽伝」で、フランキー堺と裕次郎の二人がこっちを向いて小便をする場面が出てきたり、「雁の寺」では天下の美女の若尾文子が便所に入ったり、そのあとで小坊主が汲取りをやってみたりね。(略)なにかを意味しているんですね。
川島:「貸間あり」のときにタイトルで、目汁、鼻汁をたらすということを入れてるわけなんですが、そういう観点をとらえたつもりだったけれども、どうも表面に出たドタバタ的なことしか、みなさんに理解していただけなくて。僕の表現のしかたがまずかっただろうと思っていますけれども。
僕自身で最近少しわかりかけてきたような気がするんですが、いままでいろいろ模索していたものを喜劇のかたちでやってたんだけれども、そして冗談に「積極的逃避」なんていう言葉を使っておったんですが、それはどういうことかと自分で考えてみたら、つまり「偽善への挑戦」だったんだとわかりかけてきました。偽善というのは、自分の内部へ向かってももっときびしくなければならんと・・・。
草壁:ようやく川島路線というか、あなたの世界がはっきり出てきたという気がするんですけど。
川島:打ち出していけるような気がするんですけど。
草壁:あたた自身のそういうものを出すためには、いままでのように、三本のうち二本くらいはおつき合いというものも、やっていかなければならないんですか。
川島:いまの状態では避けがたいような感じですね。毎年東宝で俳優さんをのぞいたタレント、重役が集まっていろいろ話をする機会があるんですが、今年は森岩雄副社長が、東宝は商業ベースでやっていく、みなさんのおっしゃることはアート・シアターででもやっていただきたいと厳命されて・・・(笑)。
(略)
川島:三島由紀夫さんの「近代能楽集」というのがありますが、僕は「近代狂言集」というつもりで、「しとやかな獣」なんかも作ったのですけれど。この次にやる「江分利満氏の優雅な生活」、これも「近代狂言集」のつもりです。「優雅な生活」というのはどういうことなのかということになるんですが、これは数奇-現代における中世的なものを解明するということだと思うのです。西行という人は世俗社会を捨てて遁世するわけですね。そして方丈の草庵に住んで数寄の世界に遊ぶというふうに追い込まれてしまったわけですが、そういうものを否定して出てきた人たちが、たとえば道元であり親鸞であると思うんです。僕なんぞはとってもそこまではいけないが、数寄の世界を解明してやろうという野心をもっているわけです。数寄というのは、要するに優雅な生活ということですからね。閉鎖的な世界で、社会的連帯もなにもない。私は肯定的な面から描くというのは不得手でして、現状では否定面を描くことによって自分を出していくよりしようがないという感じなんです。
岩崎:あなたの成功した喜劇の場合、数寄の世界、優雅な生活ではなくて、非常に無礼な、ぶしつけな、卑俗な生活の人間、そういうものにとても興味をもっているように思えた。(略)それが伸びていくほうがいいんじゃないか、と僕は考えるんですが。
川島:「しとやかな獣」も、一種優雅な生活とみてるわけです。
岩崎:さっき偽善への挑戦というふうにおっしゃったけども、そういう意味からいって、逆説的な言い方をしていらっしゃる。
川島:僕ら周囲を見ていても、偽善者という面持をしているものが多すぎる。もちろん外部ばかりでなくて、自分のほうにも、もっときびしくならなければお話にならないんですけれども。
岩崎:だから、ふつうの人間に、おれは偽善者だということを納得される映画、そういうのは「しとやかな獣」なんかにはとてもあるわけですよ。それから「雁の寺」にも出ている。(略)それがいまの言い方によると、西行なかたちですっきりしちまうと、川島ファンとして心細いわけですよ。
川島:もちろん、人というのは偽善の胸懐から逃れることはできないのでありまして・・・。(笑)現代を描いていくことになると、究極的に喜劇のかたちになると思うんです。閉鎖的な世界を当分描いて、そこでどの点までいけるかということをみきわめたいと、いまのところ思ってます。
岩崎:閉鎖的な世界というのは、大きな社会とか、大きな部面じゃなしに、そこ一部をせまく切りとってということになるわけですか。
川島:はい、たとえば、現在ですと、知識人の中での連帯感の欠如ということが言われておるんですけれども、そういった面をついてみたいという気もあります。
草壁:そういう川島哲学とういうものが、上からの脅威というか、東宝路線の中でどれだけ押えられずに進んでいかれるか、僕らジャーナリストとしての興味がありますね。
川島:ほんとうに向うでは押えようとかかっているし、かかってくるでありましょうから…。(笑)「江分利満・・・」というのは、営業面からいけば、見ておもしろいんじゃないかと思いますね。
岩崎:だけども東宝というところは、やはり限度がありましてね。その限度以上はいくらおもしろくても、その線はお断りという傾向がありますね。大映や日活にはそれがないわけですよ。
川島:いかにお金がもうかっても、この線だけは外してやってもらっては困る…。それが東宝イデオロギー・・・。(笑)その3もアップする予定ですので、気長にお待ち下さいませ。