シネマヴェーラでマイケル・チミノ監督のあの『天国の門』を観て来ました。
今回149分バージョンでの上映であることはチラシに書いてありましたが、オリジナルのシネマスコープでの上映ではなく、トリミングされたスタンダード・サイズでの上映でした・・・。
149分ヴァージョンでもフィルムが2巻に分かれているとのことで、途中フィルムをかけ替えるのに数分の休止を挟んでの上映。
なぜこの作品が世紀の大コケしたのか考えつつ鑑賞。
149分バージョンでも長い。作家的にはどれも必然のシーンなのでしょうが、興行的には何でこんなところ延々撮るんだ?と思うところばかり。
他の監督なら100分ぐらいに収めるのではないかと思う。
ジョンソン郡戦争が始まるまでの前置き部分で映画の半分を使ってしまっているのです。
全体的にかなり妙で、冒頭大学の卒業式が延々続くのは佳き時代を表現したかったのだろうと納得できても、娼婦かつ売春宿の女主人が男二人を愛するというストーリーをなぜ入れたのが理解不能だし、この女主人の心情も理解不能。
(ところで、先日観たロバート・アルトマンの『ギャンブラー』でもジュリー・クリスティー演じる娼家の女主人は自らも客と寝る娼婦でした。こういうの、この時代の娼家のビジネスモデルなのでしょうか?)
そして何より謎なのは、ラストのまとめ方。
『ギャンブラー』は、ある流れ者の男のはかない人生を描いた物語でしたが、『天国の門』ときたら結局、老齢にさしかかり悠々自適な生活を送る東部エスタブリッシュの名家出身で金持ちの主人公が、若い時分に西部のド田舎で相当刺激的な体験したなぁ、イイ女ともイイ事したなぁ、などと思い出に浸るという映画になっており、あのラストは顰蹙ものです。
かといって、この作品は駄作とかつまらないもとか、そんなことは全然なく(ただ相当妙なだけ)、観ていてオオっと思うショットがとにかく満載で、ワルツのシーンもすごいし、大自然がバックのショットもどれもこれもすごいです。
撮影はヴィルモス・ジグモンドで、もう『ギャンブラー』とトーンがそっくり。
『ギャンブラー』は、ネガ現像前にフィルムを露光させる「フラッシング」という手法を使ったとアルトマンは話していますが、これもそうなのでしょうか。驚くほど似てます。
素晴しいショットを観るためだけでも十分この作品を観に行く価値があり、だからこそ今回の上映がシネスコではなくトリミングされていることにガッカリし、「ああ、これがシネスコだったら」と思いながら最初から最後まで観てしまいました。
今回、面白く鑑賞しましたが、これが219分の完全版だったら、観終わった後不機嫌になったかもしれません。そう思いました。
それから、エンドロールの中にオックスフォード大学の名前がありました。冒頭のハーバード大学の場面は、イギリスのオックスフォード大学での撮影だったようです。
あと、村民皆殺しを指示する西部の大規模牧場主集団、ジョージ・ブッシュの先祖みたいでした。
英語版ウィキペディアの「ジョンソン郡戦争」のページに本物のエイブリルとエラ、ガンマンを率いたカントンの写真が載っております(実在の人物とは思わなかった)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Johnson_County_War
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