連日通ったシネマヴェーラの若松孝ニ特集もワタシにとっては今日が最終日。
受付でダゲレオ出版の「俺は手を汚す」を購入。今回まとめて若松作品を観て、撮影時の濃厚そうなエピソードを知りたくなったのですが、この本は現在古本屋でないと入手できないようなので、喜んで購入。
『性家族』(71年)。
スクリーン上のタイトルは『色情家族』。
シネマヴェーラのチラシに大島渚監督の『儀式』のパロディとも言われると書いてあるのですが、この作品、想像以上に『儀式』そのまま。俳優の台詞の発し方も『儀式』を彷彿させます。
正直なところ、ワタシは『儀式』よりも『性家族』の方が好きですぞ。
冒頭、床の間に刀を飾っている和室で自衛隊のらしき制服を脱いだ父親が娘(宮下順子)を座卓の上に裸で寝かせ触りながら、「今日は家族に変わりは無かったか?」と尋ねます。すると宮下順子は「いつものとおり」と答えます。
次に同じ家の中にいる、長男カップル、次男カップルがセックスしている姿を順に映し、そこに宮下順子の「何も変わりはありません」という声をかぶせます。
次に母親が布団の上で半裸でもがき苦しんでいる姿とそれを見つめる三男。三男は苦しむ母親に薬を飲ませ、母親はこと切れます。
そしてタイトル『色情家族』が出て、お話が動き出します。
家長による威圧的な家族支配というやつを、とてもストレートにわかりやすーく描いていて面白いんですが、如何せん『儀式』にはあった佐藤慶と畳の連続による威圧感が『性家族』にはないので、どうにも迫力不足な感は否めません。
父親を演じる俳優にまったくが迫力がなく身体の線も細く、自衛隊らしき制服を着ているですが、制服がブカブカ。不気味さもなく残念。
とはいえ、家長による一族支配をピンク映画の枠組みで(国映配給)熱く描いた力作で面白かったです。
次に『現代好色伝/テロルの季節』(69年)。
ワタクシ、ひどく感動してしまいました。
またもや団地が舞台のお話。
吉沢健演じる活動家は団地にOL二人と同居し姿を隠していて、団地に隠匿しているとの情報を得た公安警察二人は(一人は丹古母鬼馬二)、吉沢健の部屋に盗聴器を仕掛け向かいの部屋から監視を始めます。
吉沢健の生活ぶりときたら、OL二人に「ゴロニャン」と呼ばれ(「ゴロニャン」ですよ!)養われ、殿のようにかしづかれ、トイレの水も女に流させ、女二人に身体を拭かせ目を細めて「余は満足じゃー」と言い、夜はOL二人と同時にセックスし、しかも二人を優劣つけることなく同等に満足させるという英雄ぶり。いやほんと、ヒーローですわ。
で、朝OL二人が出勤すると、独り言したり、団地でのんびり日向ぼっこしたり、テレビ見たりするヒモっぷり。OLが帰ってきて、「ゴロニャン、今日何した?」と訊かれると、吉沢健は「何もしてない」と答えます。もうサイコー。
そんなやり取りを毎日聴いててまいってくる公安警察二人の姿がまたおかしい。
吉沢健はいつ立ち上がるのか?と思いつつ観ていても、毎日毎日OL二人にかしづかれ、セックスばかり。で、このセックスの描写が素晴しい。
いやぁ、二人を同等にかわいがり、二人の女に争いを起こさせない吉沢健は神ですよ。
キング・オブ・ヒモ。
しかも3人で暮らしていれば、男と女の一対一の深い関係にならなくて済む。そこまで計算した上で、OL二人に養われ、OL二人を悦ばせる頭の良さと肉体的実力。
公安警察もあまりの享楽的な生活ぶりに完全に活動から脱落したと判断し、マークをはずし監視を止めます。
が、ついに吉沢健が立ち上がる日がやってきます。佐藤栄作訪米阻止です。
決行の前、スクリーンはカラーになりアメリカと日本の国旗が左右にたなびくのと多重に吉沢健がOL二人とセックスする姿が映し出されるのを観て、ワタシはヤラレタ!と思いました。
この国旗とセックスが多重露光される場面に流れるジャズのスタンダード曲(トランペットにダブル・シックス・オブ・パリのような混声スキャットによる演奏)、つい最近何かの映画(洋画)でまったく同じアレンジ・演奏で聴いた記憶があるのですが、はて何の映画だっただろう?何の曲だっただろう?
映画を観た後もずっと思い出そうと考えていたのですが、思い出せません。
曲名・音源はいつか判明するとして、この場面のこの音楽を流す若松のセンスには本当にまいりました。セックスの最後に吉沢健が涙を流す顔が映るのと同時に、ワタシも若松の音楽センスに感動して一緒に泣きそうになりました。
そして、白黒にもどり、ダイナイトを身体に巻きコートを着て、団地を出て、羽田空港に向かう吉沢健。
カメラは吉沢健から管制塔に移動し、「終」。
『現代好色伝/テロルの季節』、ワタシの若松特集の最後を飾るにふさわしい作品でありました。
これでシネマヴェーラの「若松孝二大レトロスペクティブ」、全作品鑑賞いたしました。
シネマヴェーラの特集で全作品通ったのは初めてです。日曜日は3本立てだったのが有難かったです。
素晴しいと思ったのは、『続日本暴行暗黒史 暴虐魔』、『裸の銃弾』 、 『狂走情死考』 、『現代好色伝 テロルの季節』 。
『日本暴行暗黒史 怨獣』、『性の放浪』も面白かったし、 『壁の中の秘事』、 『性家族』も楽しめました。
今回の特集の初めに、ワタクシ、イデオロギーを前面に出してつくられた作品は果たして時代を超えた普遍性を持ちえているのか?との疑問を解決したく上映される全作品に通いたいと書きましたが、全作品を観た結論として、若松作品は、登場人物の設定やストーリーに(プロット)に政治や活動が出てくるものが多いけれども、それはあくまで道具であって人間を描こうとしているから、普遍性はある、ということです。
主張よりも人間描写が勝っている作品ほど面白いなと思いました。
そして、若松の画面のセンスの良さと音楽選びのセンスの良さには本当にまいりました。
音楽のセンスは後天的なものではなく持って生まれたものだと思います。そういう意味では若松は天才じゃないかと思いました。
さっそく「俺は手を汚す」、読み始めようと思います。
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