ラピュタで5本鑑賞。
モーニングで中平康監督の『学生野郎と娘たち』。
最初から最後まで俳優たちの軽妙な台詞回しと、キレのいい身体の動きに魅了されっぱなし。
カッティングもスピーディ。
この時代の中平康は本当に素晴しい!
俳優たちのなかでも、中原早苗の身体の動きがとりわけ見事。こんなに魅力的な女優だったのかと唸りました。
曽根中生監督の『色情姉妹』。
社会の底辺に生きる3姉妹のお話。
浦安が舞台ですけれども、浦安市民の方はご覧にならない方がいいかもです。
小原宏裕監督の『実録おんな鑑別所 性地獄』。
ダウンタウン・ブギウギ・バンドの音楽がピッタリで、ロック感あふれる作品。
現実的な芹明香と高橋明のカップルが痛快。今さながら高橋明の声の良さにウットリ。
観ていて楽しかった。
小沼勝監督の『ラブハンター 熱い肌』。
田中真理&織田俊彦夫婦の邸宅の内装がゴヤ風というかゴシック風で独特の雰囲気を放っておりました。
温室で織田俊彦が裸の田中真理に乱暴するカット、いやらしくて驚きました。田中真理の乳房が温室のガラスにバーンと打ち付けられ、まぁ、エロい。
最後、田中真理が束縛から解放され旅立つというのは、『昼下りの情事 古都曼陀羅』と同じでしたね。
そして『OL日記 濡れた札束』。
本日は加藤彰監督がご来場です。
まずは、作品の上映。ニュープリントです。
音楽は樋口康雄で、『エロスは甘き香り』と『(秘)色情めす市場』で使われた音楽が流れておりました(『エロスの甘き香り』が時代的には一番古い)。
中島葵、絵沢萠子の行かず後家姉妹の家というのは迫力あります(絵沢萠子の顔が沢口靖子に見えた)。
中年女性を演じた中島葵、調べると当時まだ29歳なんですが、疲れきった彼女の顔は40歳はとうに超えているように見えます。
年下男にいいようにされて横領に手を染めていく様は観ていて痛々しい。
中島葵の入魂の演技を堪能。
最後、逮捕され、取調べ中、高橋明演じる刑事と丼を黙々と食べるカットが良いなぁ。
樋口康雄の音楽は2次使用、3次使用なわけですけれども、この作品のために書き下ろしたように映画によく合っておりました。
そして加藤彰監督のトークショー。
聞き手は高崎俊夫さん。
場内、『OL日記 濡れた札束』を撮影された荻原憲治カメラマン、そして白鳥あかねさんもご来場されてました。
加藤彰監督、物静かにお話される方です。

『OL日記 濡れた札束』は30年以上前の作品で、よく憶えてない。
台本を見直してみても自分が撮ったもの違う。今回改めて観て、改めて台本と違うと思った。
モデルになった九億円横領事件は当時大変な事件で、ショッキングだった。
相手のタクシー運転手や「オニイチャン」と呼ばれる人物の存在などは当時新聞で読んでいた。映画化は事件直後、皆の記憶に新しい頃だった。
劇中、三島事件なども戦後の軌跡を入れたのは、台本にはなく加藤監督のアイディア。
戦中派はどうなっていったのかということを描きたかった。
決して美人ではない中島葵の存在感がよく出ていた。彼女のよさ、人間そのものが作品に表れていた。いい女優だった。
中島葵以外の登場人物は、殆ど素人みたいな人で、下宿のお婆さんもそうだし「オニイチャン」役は日活の大部屋俳優。それでドキュメンタリーみたいなものを撮ろうと狙っていた。
中島葵はその前に武田一成の作品に出演していて、『OL日記 濡れた札束』への出演は製作の伊地智啓が決めた。

加藤彰監督はもともと小説家志望だったのだが、小石川高校の2年だった時に、担任の小島信夫が芥川賞を受賞した。小説家とは、 こんなにもユニークな人なのかと思い小説家を目指すのを止めた。日大芸術学部の後輩には小沼勝監督や蔵原惟二監督がいた。
日活に入社し、中平康監督に一番多く、12~13本付いた。『恋狂い』は脚本を書いた中平監督の『砂の上の植物群』の延長だと。
蔵原惟繕監督には2~3本付いた。
日活がロマンポルノに転換するとき、藤田敏八など他の監督が断ったので、自分が撮ることになった。
自分はアクションを撮れない監督。これを撮らないと映画を撮れないと思い、流れに乗ってやっちゃったという感じ、と。
そして質疑応答。
「通常ロマンポルノ作品は3人ぐらいの女優が出演しますが、『OL日記 濡れた札束』は中島葵一人が出ずっぱりでしたが、企画として大丈夫でしたか?」との質問に対し、監督、事件が特殊でタイムリーだったので、大丈夫だった、と。
京都・山科の女三人家族でああいう事件が起こったということ、それだけを撮り続けるだけでよかった、他の登場人物を入れてバラエティをとる必要はなかった、中島葵の存在感ですね、と。
中島葵に対しては特別役作りの指示は与えなかった。ちょっとしたヒントは出したけれども、とりわけ役についてのプランは与えなかった、と。
次に中平康監督についての質問。中平監督は晩年アルコールに浸っていたが、加藤監督が付いた頃はどうだったか?
加藤監督は中平監督の中期、『泥だらけの純情』の頃に付いたが、既に酒を飲んでいて荒れていた。
自分はまともな中平康を知らない。
中平作品は今見ても古くならない。素質がある人だったのだろう、頭の回転の速い人という印象、と。
『猟人日記』ではサードだったので、内容にかかわってない。
後年、西村昭五郎監督に「おまえが中平康を堕落させた」と言われた(笑)。
中平康は初期に傑作が多いが、アルコールに浸っていた頃の『月曜日のユカ』『砂の上の植物群』はそんなに堕落してない。その『猟人日記』もしっかりしている。
中平康監督からの影響は?と訊かれ、加藤監督、他人から見ると似ているんだと思う。比較すると自分は都会的ではないけれど、と。
後から考えると、女性を描く映画は自分に合っていた分野だと思う。
当時は何とか750万円で映画にしたい、自分のイデオロギーを入れるということよりも、お金がかかっていなくてもかかっている作品に見せたい、そういう意気込みで撮った。
『OL日記 濡れた札束』にご真影が出てくることについて、国民学校に入って戦争が始まった、それを反映させたいと思った、と。
中島葵演じる主人公が世の高度経済成長と反する存在ですね、という高崎さんの問いかけについて、当時の映画業界は高度経済成長と逆に下がっていくばかりだった、と。
今の映画界の繁栄を羨ましく思う、と。

日活についての話になり、74年頃の日活について、物凄い熱気だったと。
皆若く、ワンステージで3、4組が同時に撮っていた。競い合いみたいな熱気があった。
ライバルは神代辰巳で、藤田敏八は兄のような存在だった。
藤田敏八とは2年間、同じアパートの1階2階に住んでていたこともあった。
藤田敏八も山田信夫も67歳で亡くなった。だから、自分は余生を生きているような気がする。
同期は伊地智啓、村川透、白井伸明。
ロマンポルノについて、当時はある程度注目されたけど、今見るとAVと同じように見えるのではないかと思う、と。
(絶対にそんなことありません!)
加藤監督、西村昭五郎監督が映画芸術に執筆した文章のタイトルをあげ、ロマンポルノ転換期の悲壮感、覚悟、ショックだった心境を説明されてました。差別の中に入っていく覚悟だったと。
そしてトークショー終了。場内拍手。
加藤彰監督に『OL日記 濡れた札束』のDVDにサインしていただきました。
ワタクシ、トークショーの最後の部分、ロマンポルノへの転換についてのお話を聞いて、胸が痛く辛くなりました…。
映画監督には色々なタイプがいますよね。ロマンポルノの監督でも自分は芸術家だと自負しているタイプも多いと思うのですが、加藤彰監督はまったく逆なタイプで本当に謙虚で(大監督に対して謙虚という形容詞はおかしいかもしれませんけど)、真摯でもの静かな語り口の方で、極めて客観的にご自身の作品について、また当時のご自身状況について、お話されている印象を受けました。
映画ファン、ロマンポルノ・ファンの一人として、加藤彰監督に、素晴しい作品を撮られたことへの感謝の念をお伝えしたい、そんな気持ちにかられたトークショーでした。
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まぶせさん
ご丁寧な返答ありがとうございます。
ホっといたしました。
「AVみたいなもの」についての私の記述もわかりにくかったようです。申し訳ありません。
監督の「今見るとAVと同じように見えるのではないかと思う」という発言ですが、その場で聞いていて、本当にショックでした…。
加藤彰監督は殆どトークショーなどの機会に出られない方のようで、現在若い世代も含め映画ファンがロマンポルノを作品として評価していることを、それほど体感されてないことからきた発言なのかもしれませんし、そんな単純なことではなく、ロマンポルノという形態で映画を撮らなければいけなかった当時の状況を説明するのに、今でも人前でそういう表現を選ばないといけないほどの熾烈な思いだった、ということなのかもしれません。
当日トークショーに観にこられていた真魚八重子さんの
http://d.hatena.ne.jp/anutpanna/20080430#p1
をお読みいただくと、我々ファンのその場衝撃がおわかりいただけるかと思います。
まぶせさん、今後とも宜しくお願いいたします。