まずはシネマアートンへ。「ショーケンが好きだ!」特集。
蔵原惟繕特集の『雨のアムステルダム』。
久々に相当酷い映画を観ました。
曇りのアムステルダムを撮った俯瞰を多用したカメラは、「兼高かおる世界の旅」みたいでなかなか美しいんですが(カメラ・岡崎宏三)、あまりに脚本が酷い。
要は、ショーケンが金と好きな女(岸恵子)と自由を手に入れるためにホモの金持ち(アラン・キュニー)にオカマを掘られるというオハナシ。
映画のクライマックスは、ショーケンがお城でアラン・キュニーにヤられるシーンで、ショーケンがウっとなっている目の前に岸恵子がいて、その光景に耐えかねた岸恵子がああなって、で、ショーケンがこうなって、と書いているだけこちらの頭が悪くなりそうな展開。
この時流れる音楽はワーグナーのタホンホイザー序曲。悪い冗談としか思えません。
最後、
撃たれたショーケンの身体が
ザーっと凍った川の上を滑っていくのは、良かったですけれどもね。
ラピュタに移動。
本日は白鳥あかねさんのトークショーがあるということもあって、満員打ち止めになっておりました。
神代辰巳監督の『濡れた欲情 特出し21人』を鑑賞。
何だか感動してしまいました。
この作品も神代辰巳&姫田真佐久の組み合わせで、登場人物が歌を口ずさんだり、放浪したりするいつものパターンなわけですけど、神代作品の中でももっとも好きだと思いました。前向きでバイタリティがあって女性たちが魅力的で。
芹明香が良すぎ。片桐夕子も良かった(カラダ、最高)。
最初、芹明香が回転ベッドの上で古川義範にコマされているシーンのワンシーン・ワンショットも最高に面白いし、ストリップ一座が雑魚寝している場面、最初セックスしている一組のカップルが映り、カメラが退いていって次々カップルが映り、他の女に手を出そうとしているヒモが女房に見つかってモメている光景の奥で最初のカップルがセックスをし続けているのが映る長廻しも最高。
絵沢萠子、登場シーンは少ないのですが、赤ん坊を抱きながら夫を追いかけ疾走するカットはロッセリーニか!と思いきや、その直後に絵沢萠子が逞しい身体でストリップしている逞しいシーンにつながり、ヤラれたと思いました。
劇中いっぱい流れる歌のセンスも最高。
そうそう。冒頭、心斎橋で財布を拾ったというシーンは吉祥寺で撮影されてましたね。
そして白鳥あかねさんのトークショー。聞き手は高崎俊夫さん。

久しぶりに『濡れた欲情 特出し21人』を観たけれど、神代作品のなかで最も好きな作品。
信州・上山田温泉でロケをした。
劇中のセリフ、「ママさんは4・5つ劇場を持って、億の金を貯めた」というのは本当の話。
ロック座のママさんは神代監督のファンで、神代監督のためなら何でもすると言った。『濡れた欲情 特出し21人』はロック座のママさんの企画。
殆どが信州ロケで、スタッフは安宿に泊った。ママさんは上山田温泉に劇場のほか、喫茶店も持っていて、喫茶店の上に大広間があって、そこで毎日朝食を食べたのだが、本物のロック座の踊り子たちが早起きして炊き出しをし給仕をしてくれた。給仕をしてくれたのはママさんの方針だった。
すべて手作りで、生涯忘れられないロケだった。
劇中の雑魚寝のシーンがあったが一座は実際にああいう感じで、赤ん坊を世話するためだけの保育係の男性も一座にいた。
一座は不思議な運命共同体といった感じだった。
それぞれの踊り子のヒモが、その踊り子のキー・ライトを当てる役割となっていた。
運転手もヒモ、モギリもヒモだった。
劇中の外波山文明は本物。自分(白鳥あかねさん)も、塩を持ってくる役で出演した。
姫田カメラマンは布団敷きの役で出た。
フタッフも運命共同体だった。
プロデューサーの三浦朗は、スタッフが飲むお金をどう持ってくるかで苦心していた。
芹明香は踊りを覚えるのが早く、踊りたがり、宴会でチャブ台の上の乗り踊っていた。すると隣の襖の客がその姿を見たがった。そこで、その客に酒を2本持ってきたら、見せてあげると言い、酒を手に入れた。
それを見て、三浦朗は物陰でみんなに満足に酒を飲ませてやれないと泣いていた。
まさに運命共同体だった。
一方、片桐夕子はなかなか踊りがうまくいかなかった。映画ではうまく踊っていたように見えたのは、金髪のカツラをかぶせて姫田カメラマンが、そう見えるように撮ったから。
ロマンポルノをやり出した頃は恐る恐るだったけれど、『濡れた欲情 特出し21人』をやって吹っ切れた。「ポルノの世界で映画人としてやってく」覚悟ができた作品。
踊り子たちに、どうしてこんなにスタッフによくしてくれるのか訊いたところ、いつも人から見下されてるいるけれども、映画のスタッフはそうはしなかった、それが嬉しのだと言われた。それで給仕をしてくれた。
撮影期間は2週間。最後の打ち上げのとき、ロック座のママさんが、舞台にゴザを敷いてお膳を持ってきて宴会をしてくれた。スタッフを大喜びで、踊ってお返しをした。
姫田真佐久は着物を着て、カツラを被って、スッポンポンで踊った。
神代監督は、黒田節を踊った。脱がなかった。
自分も踊った。どんどん脱いでいったけれど、外波山文明が脱がなくていいと止めたので、最後の一枚は脱がなかった。
スタッフが帰京するまえに、撮影所ではその日のことが評判になっていて、スクリプターはストリッパーじゃないよ、と言われた。夫には何も言われなかったけど。

神代監督はロマンポルノ以前から関係があった。
あまり知られていないが、神代は『渡り鳥シリーズ』の助監督だった。
その斎藤武市監督は小津安二郎の弟子だった。
神代監督はチーフ助監督として松竹から引き抜かれてきた。島崎雪子と結婚する人だよ、と撮影所で言われいた。
斎藤組のチーフ助監督だった。
『渡り鳥シリーズ』はフィルム・コミッションの走りで、土地土地と契約し撮っていたが、神代はチーフだったので、先発隊としてロケ地に行っていた。
それから後で、スタッフみんながロケ地に行くと、「神ちゃーん」という声がかかり、神代監督を見ると機嫌が悪くなっていた。
先発隊として現場に行っている間に、土地の女性と仲良くなっていて、その女性から「神ちゃん」と声をかけられたのだ。
それも監督の方からということではなく、女性の方から好かれていたようだった、と。
助監督時代は、人が良くニコニコしていて、スタッフに人望があって、監督としてそんな才能があるとは気付かなかった。
蔵原惟繕とは松竹の同期だったが、神代は日活に移るのが一年遅れたために、蔵原はスター監督に、神代は監督になるのに7年かかってしまった。内出好吉監督に「俺を置いていくのか」と云われ、松竹にとどまってしまった。
日活では今村、鈴木清順とともに助監督リストのトップに神代の名前があった。
『かぶりつき人生』、主演の殿岡ハツ江とは事実上結婚していた、『一条さゆり 濡れた欲情』、そして『濡れた欲情 特出し21人』とストリップの映画が続いたが、神代自身ストリップが好きなのではないかと思う。
神代が亡くなったあと、郷里の佐賀に行き、佐賀中学の神代の幼なじみに会った。中学生時代、女学校の運動場の金網からブルマ姿の女学生をみんなで覗いていたとき、当時の神代は「君たち、女性を見るときは全体を見るものだよ」と言った、という話をきいた。
神代はまた「女性にはかなわない」と言っていた。ロマンポルノは女性が被害者的に描かれたものが多いが、神代作品は違う。
「たかが映画、されど映画」とも言っていた。卑下ではなく、世間では軽く見られているかもしれないけれども、映画は映画である、という意味で、と。
また「映画はヒエラレルキー」だとも。『悶絶!!どんでん返し』などの逆転する、という意味で、と。
以上でトークショーが終了。
白鳥あかねさんのインタビューが載っている機関紙「フィルム・ネットワーク」にサインしていただきました。
最後に長谷部安春監督の『(秘)ハネムーン 暴行列車』を鑑賞。
何だかのどかな作品。
「SOS」などピンクレディーの歌が流れておりました。
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